もう勘弁して!

ある日突然、小児科医ママは「見てこれ!」という。何かと思うと全身虫刺され!そして、小さな数ミリのピョンピョーンと跳ねる黒い虫発見。インターネットなど駆使して調べた結果、ノミだということ。 子供は? 大丈夫。  お坊さんパパも大丈夫。 なぜママだけに??? 日に日に噛まれて行くママ。もう50箇所を超える。床を見て黒い物体を見つけると「ノミ!」と思い、挙げ句の果てに自分の黒子を見て「ノミやわ!」と叫ぶ。危ない!ママは精神的にやられてしまっている。ノミ退治に必死のママ。殺虫剤を何本も購入。くまなく家掃除。朝夕掃除。しかし掃除中も噛まれる始末。不憫に思えて仕方がないが、どうすることもできないパパ。医者としてはステロイド入りの塗り薬で対処するだけだそうだ。ノミは吸血なので美味しい血を吸うのであろう。お坊さんパパの血は美味しくないのか?  みなさん、対処方法をご存知で?  知恵を拝借したい。 参考までにノミのページを検索してみた。 「ノミの大きな特徴として、卵から幼虫、さなぎ、成虫という4段階の発育を経て、姿を変えながら成長することが挙げられます。この発育段階によって効く薬や効かない薬があること、さらには犬・猫の体表にいる成虫だけを取り除いてもすぐに卵から発育・繁殖することが、ノミを簡単に駆除できない理由となっています。ノミは、通常1.0日~6日間で卵からふ化して幼虫になり、2度の脱皮をした後、さなぎから成虫になります。ノミの成虫は、光や熱、二酸化炭素に反応して動物の体表に寄生します。寄生すると8分以内に吸血を開始し、36時間~48時間以内に産卵(1日平均30個)します。その後も体表上にと

嘘つきは誰?

お坊さんパパ修行のために、時間をつくって法話・説法(仏様の話)を聞きに行く(聴聞)。 みなさん、ご存知の通り私お坊さんパパは浄土真宗本願寺派のお寺の住職であるが、宗派問わずご縁があれば聴聞行に出かける。ご縁を結んでくださった禅宗の老師のおかげで禅寺でもお世話になる。 先日京都西本願寺本山に行き、聴聞行をさせていただいたわけであるが、本願寺の布教師さんが読経後に御法話をなされた。そこでの話であるが、その布教師さんの説法はお釈迦様の「五戒」についてであった。その戒律の中で、「不妄語戒」がある。「嘘をついてはいけない」ということであるが、布教師さんはたとえ話で「イギリス人でどの職業が一番嘘をつく職業かご存知ですか?」と聞かれたので、私は「お坊さん(聖職者)!」と即答した。そうすると布教師さんが「私もそう思います。」とおっしゃったのである。実際はセールス業が答えらしいが、私はイギリス人であろうと日本人であろうとお坊さん(聖職者)ほど嘘つきはいないと思う。世間の人は騙されているということ。なので、お坊さんと答えたのだが、その布教師さんにはもっと気の利いた答え方をして欲しかったのが本音である。例えば、「嘘つきは私です!」とか「(真実に至らしめるための)嘘も方便です!」など。お坊さんとして「己の姿を省みることが本当にこの布教師さん、修行できているのか」と疑った。その布教師さんはまた「精進」についても話された。以前は昔はご命日(親鸞聖人の命日)には精進料理を食べていたと。(ちょうどその日はそのご命日である。)そして今は精進料理はほとんど食べないというのだ。 この布教師さんは、今日の御法座(説法

自我から大我へ

友人からの相談を受けた。「ほんまに笑いのツボが違うな~」とお互い(夫婦で)思う時があるそうだ。そして、話が展開していく。「最初はこんな人違ったのに~」とか、「騙された~」とか「何で一緒になったんやろか~」とか、ひどい時には「詐欺やわ~」などと旦那は奥様に言われるそうだ。友人もかなり凹んでいるらしいが、黙っていないらしい。反撃だ!とばかりに言われたことをそっくりそのまま言い返すそうだ。そうするともう「わや」になる。お互い嫌なところをぶちまける。言い合い合戦! そこで思う。何が違うのか?とか、文系脳と理系脳の違い?、IQ・EQの違い?、単純に男女の違い?…とか。結局はいろいろ調べ考えてはみたが、仏教でいうところの「我執」「執着」が全て悩みのタネ(原因)だということ。お互い自分自身が可愛い・愛しいから我執が生まれ執着する。この考えには、友人夫婦一致する。この「我」(が)をどうコントロールしていくかが人生の修行である。我が決して悪いわけではない。否定的なものでもない。我を変換すると「大我」(優れた我)になって思ってもいない力を発揮する時がある。自分自身を見つめていく。問い続けていく先には何があるか。愛するとはどういうことか? 共に生活するとは? 家族とは? とか突き詰めて行く。そしてお互い最後はこう言う。「年取って動けんようになったら世話してあげるわな。」「私より先に逝かんといてや。」「亡くなったら一緒にここ(墓)に入ろな。」「愛してるで。」と最後はこう言う。 我(が)と向き合う。自分に問い続ける。そして最良の答えを導き出して行く。その作業の繰り返しである。「一人の時の方が楽やわ」

当たり前のことができない「挨拶」

「最近の…」という言葉に続くのが、「若者は」とか「年寄りは」と言うことであるが、大人も年寄りも子供も「挨拶」ができにくい社会になっていると思う。何気ないことであるが、道ゆく人に「おはようさん」とか「こんにちは」など、時と場所によって私たちは何らかの挨拶を交わすのであるが…。 仏教では「挨拶」が大切で、挨拶一つ一つが悟りへと導いているのである。もう10年ほど前の話ではあるが、京都駅ですれ違った雲水(禅宗の修行僧)さんとの挨拶を思い出す。その日は、京都でお坊さんとの会合(浄土真宗本願寺派)があったので、自坊(お寺)から布袍・輪袈裟(お坊さんの黒の衣に袈裟)を着用して京都へ電車で出向いた。京都駅に到着して、ホームから改札口に向かう途中に遠くから下駄を履いて走ってくる音がしたので、誰かなと思ったら雲水さんが出発直前の列車に乗ろうとしてたのでしょうか。出発のベルも鳴り始めた。一瞬、近づいてくる雲水さんと私は目が合いました。お互い衣の色は違うし、宗派も違うが頭を丸めた僧侶。雲水さんが私を見て近づいてきて目の前で足を止めて、そしてお互い「合掌」して「頭を垂れる」。周りの雑音、人の気配等全てが消えて、挨拶する二人だけの空間と時間がそこにあった。わずかな時間ではあったが僧侶二人にとっては大切な挨拶の一瞬、瞬間だった。「悟ったのか?悟っているのかどうか?!」の「挨拶」を通してのやりとりである。雲水さんは京都花園の妙心寺(臨済宗)の僧である。立派な僧だ。電車に乗り遅れたのは確かだ。しかし、「今、この瞬間自分にとって大切なことは何か?!」ということをわかっているのである。雲水さんにとって電車に乗り遅れ

眠たいよ〜

お寺で保育園児(4歳児)から小学6年生のお子さんを預かって「寺子屋英語クラスwith情操教育」を開催!もう始めて3年は経つのであるが、子供達の成長を毎回見守っていると勉強以外でもいろいろなことが発見できる。英語のレッスンが45分、その後情操教育(マインドフルネスメディテーション)とお坊さんパパの講話とディスカッションが15分。(もちろん、英語レッスンもお坊さんパパがしているのですよ。)英語レッスン中には子供の今日の感情や思考など注意深く観察しながらレッスンを進めていくのであるが、年に一度必ずレッスン中に配布する教材がある。そこには日常生活についてが書かれてあり、その教材を見ながら、朝何時に起床して、ご飯を食べて、学校に行き、学校では何をして、給食は何時に食べて、放課後は何時に帰り、そのあとは何をして、夕食は何時に食べて、お風呂は何時に入り、そして就寝時間は何時かということを話していく。 この英語レッスンを年に一度必ず行う理由があるのは、子供達が3食きちんと食事を取っているのか、しっかりと睡眠を取っているのかということが気になるから。レッスン後の講話とディスカッションの時間で子供達に聞いていく。「はい!みんな、睡眠時間は7時間、8時間は取れていますか?」と。そうすると、子供の中には「5時間」という子もいる。床に着く時間が22時とか24時という子も中にいて、その理由は「塾や学校の勉強であったり、お父さんお母さんの帰りが遅いので夕飯も食べるのが20時とかになるから。」という子も多い。ほとんどの子供達は7時間取れてはいるが、中にはこんなことを話してくれる子供達がいる。「学校で、ある友

愛する人を亡くして家族とともに枕経

48歳のお坊さんパパは、今まで数多くの方々を見送ってきました。  本願寺(浄土真宗本願寺派本山)では、枕経(臨終勤行)のお勤めを家族の方とすることについてこう説明しています。「人生の終わりに臨んで,永年お育てに預かった御本尊(仏壇)に対する御礼の勤行です。 一般的には,枕経と呼ばれていますが,亡くなった方に対して行う勤行ではありません。あくまでご本尊である阿弥陀さまに対して行うお勤めです。」私は枕経をお勤めしてきて今の今まで、いやこれからも”故人様(仏様)の前に座らせていただき故人様に向かって家族の方と一緒に故人様に向かってお参りさせていただきます。ご自宅にお仏壇があってもなくてもです。小児科医ママ(実家は代々続く真言宗の檀家)に質問してみました。「家の人が亡くなって枕経のお勤めするのにどこ向いてお参りする?」と。そうしたら「(亡くなった人の)顔を見てお参りする。」と答えました。「そうやな。顔見るわな。僕もそうやで。家族の人みんなで故人様の方を向いてお礼言うんやで。」と。「枕経をお勤めしますので、合掌しましょう。」と声をかけますと、全員が全員故人様の方を向いて合掌します。浄土真宗の僧侶である私も!します。手を合わすという行為は、家族の方にとっては亡くなった方に対する素直な気持ちです。「今までお世話になりました。ありがとうございました。申し訳ございませんでした。」という気持ちの表れです。その気持ちに反して本願寺は、阿弥陀様(仏様)にお参りをするというのです。確かにそう思う方(阿弥陀様にお参りする方)もいるでしょう。しかし、大多数はママや私のように亡き人(仏様)の顔を見てお礼をする

「放下著」(ほうげじゃく)、すなわち煩悩妄想はいうに及ばず、仏や悟りまでも捨て去る、すべての執着を捨て去れ、すべてを放下せよ!

あらら…、また荷物を背負ってるやないか。重くて仕方がない。道ゆく人も皆そうで、何らかの荷物を背負っておられる。老師からよく言われたのが、「できるだけ荷物を軽くせい!」と言うこと。それがなかなかできないので、人間苦しんでいるのです。                      この話をいつも思い出し我が身を振り返る。・・・・・・・・・・・・川を渡ろうとした遊女が川岸で立っていると、同じように川を渡ろうとした老師と弟子が困っているその遊女を見て、「川を渡ろうとしているのかい?」と老師が声をかける。「そうでございます。」と遊女。「では、私がおぶってあげるから乗りなさい」と老師が言うが、その弟子は「老師が女性に触れると言うことはどういうことか? 戒律を破るのか?」と疑問に思う。弟子は老師に尋ねることなく、老師は遊女を背負って川を渡る。無事に渡り終えて僧達と女性が別れる。お互いそれぞれの道を歩み始めた。                       しばらく時が経って歩んでいると、弟子が老師に向かって「老師、なぜ遊女を背負ったのですか? 戒律を破るではないですか?」と尋ねた。老師はそこで「お前はいつまでその遊女を背負っているのだ!」と一喝。 そして、その言葉で弟子は悟るのだが、いつまでも遊女に対して思いを馳せているのは弟子のほうなのだ。執着を捨てきれずに背負い続けて悩んでいる。本来無一物なのであるが…。「我執」が全ての荷物なのですね。この「執着」をどこまでも捨て切っていく。それが、荷物を軽くしていくということ。 夫婦間(家族)のやりとりもそう。今朝、朝のワイドショーを見たら面白いことを言

風邪薬くださ〜い!

お坊さんパパのアメリカ生活で、病気で病院に行くということは、余程でない限りありませんね。日本と違い皆保険ではなく保険のない人も少なくないので、診察してもらうだけで何万円も支払わなくてはならないのです。アメリカでよくある話ですが、子供が風邪を引いたら病院に行って薬を処方してもらうのではなく、ドクターやナースに「アイスキャンデーを食べさせておきなさい」とよく言われます。 日本はどうでしょう。子供が風邪をひくと病院に行きなんらかの処方をしてもらわなければ安心しませんね。いわゆる薬を求めるのです。子供は薬を飲んで治ると思い、親は薬をもらって安心する。その薬ってなんなん? どんな薬なん? 赤ちゃんや小さな子供に飲まして大丈夫なん? 疑問に思うお坊さんパパ。 「小児科医ママは処方するの?」って尋ねたら「薬はなるべくならば出さない」そうです。「病院やクリニックは薬を出さないと経営が成り立たないでしょ? それに子供の親が安心しないやん。薬を出してあげなければ。」とパパは言う。 「じゃあ、風邪で処方される薬って何?」「大人にも風邪薬って渡されるけど抗生物質。基本意味なし。気休め?その辺はどうなの医者によって変わるって言うこと?教えて。」とパパ。 「感冒(=風邪)の9割はウイルス性と言われています。ウイルス性感冒を直接治す薬はありません。自然経過で、つまり自分の免疫で治っていくのです。それは大人も子供も一緒です。抗生剤を昔から処方する風習?がありましたが、感冒を早期に治癒させる効果はないのです。抗生剤の効果としては、感冒がこじれる(悪化する)と、細菌による二次感染を来すことがあるのですが、この

Love (Life) is Bumpy Road!  愛(人生)は凸凹道を歩んでいるよう

Justin Timberlake(ジャスティン・ティンバレイク)の歌を聴いていたら、ふと愛・愛情について思っていましたよ。妻(へ)の愛、子供(へ)の愛、親(へ)の愛、… 内観すると涙することが時々あります。「今までしてもらったこと」「今までしてあげたこと」「今まで迷惑をかけたこと」。檀家参りに出かけると、お会いする方々はほとんどの方がおじいさん、おばあさんの高齢者。しかも母親(79歳)と同年代の方(父は31年前に亡くしました)。高齢でも夫婦でいらっしゃる方々は元気で何よりですが、「先日連れ合いを亡くしました」と聞きますと悲しみ・痛みに襲われます。特に奥様を亡くされて残された旦那様の思いは悲しみで一杯。「なんでわしより先に行くんや!」「寂しいやないか」「どうしていいかわからん」「早く迎えに来てくれ」「お前のそばにいたい」など、奥様に対する思いを次から次へとおっしゃる。今となってはどうすることもできないことではあるが、言葉には奥様に対する愛情が次から次へと溢れ出る。お坊さんパパは思う。生前に愛溢れる数々のその言葉を奥様にかけてあげていたのだろうかと。日本人はたった一言「愛しているよ」という言葉さえ面を向かって言えない。高齢者ならなおさらだ。言葉で表現するのも難しいもので。お坊さんパパは、逆に頻繁に言うので信用されない。感情の赴くままに生きているので、その時その時に思ったことをすぐに口にするでしょ。そうしたら小児科医ママに「都合のいい時だけ」などよく言われる。その時は本当にそう思っているのに伝わらない。信用されてないかあ〜 あかん! あかんやないか! Love (Life) is

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