
もう勘弁して!
ある日突然、小児科医ママは「見てこれ!」という。何かと思うと全身虫刺され!そして、小さな数ミリのピョンピョーンと跳ねる黒い虫発見。インターネットなど駆使して調べた結果、ノミだということ。 子供は? 大丈夫。 お坊さんパパも大丈夫。 なぜママだけに??? 日に日に噛まれて行くママ。もう50箇所を超える。床を見て黒い物体を見つけると「ノミ!」と思い、挙げ句の果てに自分の黒子を見て「ノミやわ!」と叫ぶ。危ない!ママは精神的にやられてしまっている。ノミ退治に必死のママ。殺虫剤を何本も購入。くまなく家掃除。朝夕掃除。しかし掃除中も噛まれる始末。不憫に思えて仕方がないが、どうすることもできないパパ。医者としてはステロイド入りの塗り薬で対処するだけだそうだ。ノミは吸血なので美味しい血を吸うのであろう。お坊さんパパの血は美味しくないのか? みなさん、対処方法をご存知で? 知恵を拝借したい。 参考までにノミのページを検索してみた。 「ノミの大きな特徴として、卵から幼虫、さなぎ、成虫という4段階の発育を経て、姿を変えながら成長することが挙げられます。この発育段

嘘つきは誰?
お坊さんパパ修行のために、時間をつくって法話・説法(仏様の話)を聞きに行く(聴聞)。 みなさん、ご存知の通り私お坊さんパパは浄土真宗本願寺派のお寺の住職であるが、宗派問わずご縁があれば聴聞行に出かける。ご縁を結んでくださった禅宗の老師のおかげで禅寺でもお世話になる。 先日京都西本願寺本山に行き、聴聞行をさせていただいたわけであるが、本願寺の布教師さんが読経後に御法話をなされた。そこでの話であるが、その布教師さんの説法はお釈迦様の「五戒」についてであった。その戒律の中で、「不妄語戒」がある。「嘘をついてはいけない」ということであるが、布教師さんはたとえ話で「イギリス人でどの職業が一番嘘をつく職業かご存知ですか?」と聞かれたので、私は「お坊さん(聖職者)!」と即答した。そうすると布教師さんが「私もそう思います。」とおっしゃったのである。実際はセールス業が答えらしいが、私はイギリス人であろうと日本人であろうとお坊さん(聖職者)ほど嘘つきはいないと思う。世間の人は騙されているということ。なので、お坊さんと答えたのだが、その布教師さんにはもっと気の利いた答

自我から大我へ
友人からの相談を受けた。「ほんまに笑いのツボが違うな~」とお互い(夫婦で)思う時があるそうだ。そして、話が展開していく。「最初はこんな人違ったのに~」とか、「騙された~」とか「何で一緒になったんやろか~」とか、ひどい時には「詐欺やわ~」などと旦那は奥様に言われるそうだ。友人もかなり凹んでいるらしいが、黙っていないらしい。反撃だ!とばかりに言われたことをそっくりそのまま言い返すそうだ。そうするともう「わや」になる。お互い嫌なところをぶちまける。言い合い合戦!
そこで思う。何が違うのか?とか、文系脳と理系脳の違い?、IQ・EQの違い?、単純に男女の違い?…とか。結局はいろいろ調べ考えてはみたが、仏教でいうところの「我執」「執着」が全て悩みのタネ(原因)だということ。お互い自分自身が可愛い・愛しいから我執が生まれ執着する。この考えには、友人夫婦一致する。この「我」(が)をどうコントロールしていくかが人生の修行である。我が決して悪いわけではない。否定的なものでもない。我を変換すると「大我」(優れた我)になって思ってもいない力を発揮する時がある。自分自身

当たり前のことができない「挨拶」
「最近の…」という言葉に続くのが、「若者は」とか「年寄りは」と言うことであるが、大人も年寄りも子供も「挨拶」ができにくい社会になっていると思う。何気ないことであるが、道ゆく人に「おはようさん」とか「こんにちは」など、時と場所によって私たちは何らかの挨拶を交わすのであるが…。 仏教では「挨拶」が大切で、挨拶一つ一つが悟りへと導いているのである。もう10年ほど前の話ではあるが、京都駅ですれ違った雲水(禅宗の修行僧)さんとの挨拶を思い出す。その日は、京都でお坊さんとの会合(浄土真宗本願寺派)があったので、自坊(お寺)から布袍・輪袈裟(お坊さんの黒の衣に袈裟)を着用して京都へ電車で出向いた。京都駅に到着して、ホームから改札口に向かう途中に遠くから下駄を履いて走ってくる音がしたので、誰かなと思ったら雲水さんが出発直前の列車に乗ろうとしてたのでしょうか。出発のベルも鳴り始めた。一瞬、近づいてくる雲水さんと私は目が合いました。お互い衣の色は違うし、宗派も違うが頭を丸めた僧侶。雲水さんが私を見て近づいてきて目の前で足を止めて、そしてお互い「合掌」して「頭を垂れる

眠たいよ〜
お寺で保育園児(4歳児)から小学6年生のお子さんを預かって「寺子屋英語クラスwith情操教育」を開催!もう始めて3年は経つのであるが、子供達の成長を毎回見守っていると勉強以外でもいろいろなことが発見できる。英語のレッスンが45分、その後情操教育(マインドフルネスメディテーション)とお坊さんパパの講話とディスカッションが15分。(もちろん、英語レッスンもお坊さんパパがしているのですよ。)英語レッスン中には子供の今日の感情や思考など注意深く観察しながらレッスンを進めていくのであるが、年に一度必ずレッスン中に配布する教材がある。そこには日常生活についてが書かれてあり、その教材を見ながら、朝何時に起床して、ご飯を食べて、学校に行き、学校では何をして、給食は何時に食べて、放課後は何時に帰り、そのあとは何をして、夕食は何時に食べて、お風呂は何時に入り、そして就寝時間は何時かということを話していく。
この英語レッスンを年に一度必ず行う理由があるのは、子供達が3食きちんと食事を取っているのか、しっかりと睡眠を取っているのかということが気になるから。レッスン後の