
おじいちゃん・おばあちゃんが本当に望んでいること
認知症を患ったおじいちゃんがいて、できるだけ社会的孤立にならないようにもっと外に出て社会に関わることを、ドクターである息子が勧めた。だがおじいちゃんは「外に出ても疲れるだけだし、人と交わると疲れる」と言う。家に閉じこもりがちのおじいちゃんに困った息子は、ある日こういう論文を読んだ。認知症を予防するために気を付けるべきこととして、「高血圧、糖尿病、肥満、運動習慣、喫煙、(特に幼少期の)教育、社会的つながりの維持、難聴、うつ」等があるという。尚更おじいちゃんのことが気になり、息子は同僚のドクターに相談してみた。そうすると同僚ドクターは「おじいちゃんが望んでいることは一体何なのだろうか?」と尋ねてきたという。 「余生をどのように過ごすかを考えてみると、本当におじいちゃんがしたいことが何なのかを問いかけて探していかなければならない」 「Carstensenらによる『社会情動的選択性理論(socioemotional selectivity theory:SST)』という理論は聞いたことがあるだろうか? この理論では、人が病気や加齢などにより自分の人生に残

事故に遭った者遭わせた者の見方
〜双方の角度からストレスのない社会へ〜
ストレスについて以前から思うことがあって、誰かに相談したことがある。そもそもストレスという言葉は日本にはなかった。現在当たり前のように使われる言葉であるが、日本人はストレスを抱えて生きてきたのだろうか? 「しんどいわあ~」「あ~、疲れた」という言葉を使ってはいたが、いつの間にかそれがストレスという言葉になり対人関係の悩みから自殺者が増加したりもした。今現在でもストレスを抱えて病んでいる人が多いのは確かだ。
先日、アメリカで僕が看護助手として働いていたときに経験した医療事故について小児科医ママに尋ねてみた。起こした者(病院側)起こされた者(患者側)がどう考え、双方が接しているのかということを聞いてみると興味深かった。
こういう事例である。病院側が注射する薬量の間違いをした。そしてその時「あ、間違えた。でも大丈夫大丈夫。この量であれば心配ないですから。」と患者に伝えた。それを聞いた患者家族は不安になり、帰宅して他の病院に問い合わせたり、家族に相談したりした。完全な医療事故。家族は怒り、その病院に怒鳴りに行った。病院側は医院長はじめ看護婦やスタッ