

やはりな!坐ることの重要性
先日、タイのサッカー少年達(12人)が洞窟から脱出できたことを皆さんはご存知かと思う。そこで、報道もされたと思うのであるが、なぜ10日間も子供達が洞窟で生き延びることができたのかを。わずかな食料と水、そして、精神の安定により救われたと。 精神の安定(calm down)が何より維持できたのが救われる。 皆さんに見ていただきたい写真がある。救助ダイバーが最初に少年たちを発見した時の写真である。 子供達(11歳~16歳)がなんと坐禅をしていたのである。 心を落ち着かせ、無駄な動きをしないということだ。25歳のサッカーコーチは10年間にわたりお寺で修行された方だ。こういう時にこそ何が必要かというと精神の安定だ。落ち着いてただただ呼吸に集中すること。それをコーチ(僧侶)が指導したのだ。坐禅が日常でどれだけ大切かを証明したのだ。 私は、仏教情操教育に坐禅を用いて子供達に指導している。坐るということを通じて心を精神を落ち着かせるということを。それが大人になれば必ず生きる糧になるということを子供達(3歳~12歳)に教えている。最初は坐れなかった子供達も1年もす


親の恩
先日、80歳の誕生日を迎えた母親。あらためて母に感謝したい。父を亡くしたのが31年前。私が高校生の時である。それから兄が住職となり、27年間勤め上げた。今は私が住職の座を受け継ぎ、兄は前住職ではあるが引退はしていない。お坊さんに引退はないのである。前住職の兄とともに今は法務(修行)を行っている。そして母は坊守(お寺を影から支えている)さんとして今も現役! 昨年大病したにも関わらず、動ける範囲で法務を行っている。大したものである。先日亡き父の33回法要を無事終えられたのも、母のお陰である。 お寺(淨願寺)の次男坊として生を受け、両親から愛情を受けて成長してきたが、たくさんの迷惑もかけてきた。成人して母の元を離れて開教使として渡米したときには、母は私の姿が見えなくなるまで見送ってくれたのをいまも覚えている。母が私の後ろ姿を見ている(見守っていてくれている)とは思いもよらなかった。皆さん、思い出していただきたい。自身が小学校入学した当時のことを。自分の背中より大きいランドセルを背負って登校する。その時の親の想いは、子供の後ろ姿を見て涙するのである。「行