

痛みに耐えるの?
先日、血液検査に行って来まして注射を打ってもらった。大人になっても毎回恐怖心からなのか注射を刺されるときに針から目をそらす。それに手汗もかいているのに嫌気がさす。 注射の恐怖心をなくすことはできないのか? 小児科医ママに聞いてみた。「恐怖心は、人それぞれ。」って言われた。赤ちゃんの時から予防接種を受けるが、「泣く子もいるが、泣かない子もいる。」 大人になっても恐怖心が残るのは、日本では長年、注射などの痛みは「仕方ない」「我慢が大事」とされてきた。だが日本大医学部付属板橋病院(東京都板橋区)痛みセンター長で診療教授の加藤実(じつ)さん(61)によると、最近は手術やがん治療などを通じ、「痛がらせる」ことは治療控えなどの弊害を生むと分かり、医療行為に伴う子の痛みへの関心も高まりつつあるという。痛みの影響は「今」だけにとどまらない。小児期の痛みや、それに伴う不安と恐怖が、将来も人を痛みに敏感にさせることを欧米の学者らが約三十年前に突き止めた。以来、予防接種時などの痛みを減らす方法が研究されてきた。 加藤医師は、子どもへの予防接種の意味の説明や、落ち着いて


思いやりの心② ~お盆に際して~
「罪業は深重なりとも、阿弥陀如来はすくいましますべし」と言う言葉がある。我々人間は罪深い生き物であるけれども、省みる心があるのであれば仏様はすくってくれるのですよとある。省みる心が大切である。我々は生きて行く上において殺生を行なっている。生き物のいのちの上に成り立っている人間。他の(動物の・人間の)いのち、物の大切さ、思いやりの心を学ばなければならない。 そこで大事な心が「思いやりの心」(compassion)である。お盆に際してこの思いやりの心に学ぶところがある。お釈迦様とそのお弟子である目連尊者(目連さん)の話である。 今から2500年以上前のインド、当時お釈迦様が仏教の布教に勤めていた時、お釈迦様の弟子である目連さんが、夏のお盆の時期に若くして亡くしたお母さんを見たいということで神通力を使ってお母さんがいらっしゃる仏国土(仏様の国・世界、お浄土)を見ようとした。目連さんはその仏国土を見渡してもどこにもお母さんはいない。なぜなのか?と目連さんは思った。まさか地獄に堕ちているのではと思って地獄を見渡してみた。様々な地獄をみると、餓鬼道という地獄


思いやりの心
日本に帰国した時しばらく浦島太郎状態であった。僧侶として何か日本社会でできることがないか模索してい時、縁あって「スクールサポーター」として学校でしばらくお世話になった。いわゆる問題校に教員ではない社会人が学校に入って生徒たちを見守るということである。私はある中学校に採用されその職に就いた。生徒による校内暴力、授業妨害、器物破損等、様々な問題を抱えている学校であった。問題を起こす生徒に付きっ切りで1日を終える。この問題も低年齢化が進み、中学1年生入学して1学期ももたずに、授業妨害や暴力などが絶えない日々が続いている。1年生の問題は中学校に入学してからではない。教員の話を伺うと、小学生の時からすでに問題化しているのでる。授業中騒ぐ、座れない、教員に暴力を振るうといったことが小学校の時から行われているのだ。それに問題を起こす生徒の保護者に事情を伝えても改善しない。それに地域性もあり、学校区の地域の支えもないのも問題である。また、先生間のやりとりも気になるところもあった。コミュニケーションだ。 私の地元の小学校の校長先生方にお話を伺ったことがある。その中