お声を掛けてあげて下さい

先日、がんで3年半に及ぶ闘病生活を送られた方のお葬儀を務めさせていただいた。無事お見送りもでき、翌日ご主人様がお寺に来られて話をしてくださった。奥様がお亡くなりになられてから泣かれることはなかったのであるが、最後に顔を見てのお別れの時に涙された。その時のことを話してくださった。「嫁は、息をひきとる前まで息子(高校一年生)のことを心配していた。」と。そして、棺に納められている奥様に花を添えられて声を(心の中で)掛けてあげたと。「今までありがとうやで。仏さんとこへ往っても僕らのこと見守っといてな」と心の中で言われたそうだ。 人が亡くなる時に、そして亡くなった後に声を掛けてあげること。それは、仏教で言うところの臨終勤行(枕経)である。今では、臨終に(亡くなる前に)お坊さんを呼んで最後に仏様(阿弥陀仏や釈迦牟尼仏)にお礼を言っていくことをしなくなった。ほとんどが死後にお坊さんを呼んでお参りをするようになったのである。チベット仏教では、臨終勤行を死ぬ前から49日までお勤めをする。お祈りをするのである。お経を聴かせるのである。 一昨年母親が心肺停止した時には、私は母親の手を握りながらお経を称えていたのを思い出す。そして、母が息を吹き返したときに、「綺麗なお経の声がずーっと聞こえていた。」と言ったのを思い出す。 おかやま在宅クリニックの医院長である岡山容子先生にお話を伺うと、「亡くなった後も数分くらいは大脳は音を認識している可能性がある」とご家族に説明されるそうだ。そして先生は「呼吸は止まったり、再開したりを繰り返します。耳も聞こえているかもしれない。生の終わりはあいまいなものです。」と。「

子供を見守り、子供に教えられ

寺子屋英語教室を始めて5年になる。今年の春から3歳児を預かって寺子屋を開催している。「3歳児ですけど3歳児も英語学べませんか?」という声が上がってきてのことである。保護者の方には、「流石に子供は長い時間座れることができないので、保護者の方同伴でお願いします。」と伝え、親子で楽しみながら英語クラスを進めています。鉛筆を持って書くということが初めての子供ですので、親に手伝ってもらいながら。 中には授業中立ち回る子供もいます。 泣き叫ぶ子供もいます。 我々大人は我慢強く見守り続けるのである。たとえ上手く書けなくても、たとえ上手に喋れなくても、たとえ先生の親の言うことが聞けなくても、…。 聞けない座れない子供がいればクラス(授業)を進行し難いことがあるが、時には注意したりする。また時には無視することもある。どのように1時間クラスを無事に終えることができるか、それだけを考えながら試行錯誤する。 子供が、今何をするのか? しているのか? すべきなのか?を 保護者にサポートをしてもらいながら学び続けること。この小さい子供を預かって、このお寺の環境の中でわずかな時間を子供と共有すること。1年後が楽しみである。成長が楽しみである。 その中、ある出来事が起こった。英語教室を休校にするお知らせを保護者の方にお伝えした。全員に連絡が行き届いていると思っていたのだが、クラスがあると思った保護者と子供(5歳児)がお寺に来られた。 私はお寺のお勤めで外出中。お寺には誰もいなく、教室の部屋も閉めていた。その中、その子供はお母さんに車で連れられてお寺の門の前で降ろされた。そのあと、お母さんが去ってしまったのであ

特集記事
最新記事
アーカイブ
タグから検索

© 2016 by 浄土真宗本願寺派 淨願寺

  • c-facebook