

怖い! 自己が問われる
先日、毎月の恒例行事「お寺でベビーマッサージ」が開催された。その時に集まられたママさんたちの前でお話させていただいた。
アメリカから送られてきたSNSの写真である。2枚。1枚目は、母娘が道路を清掃している労働者を見て、お母さんが娘に「あなたね、しっかり勉強しなければこんなおじさん(清掃者)になるのよ!」と言う。2枚目の写真は1枚目の写真と同じで、お母さんが娘に「あなたね、しっかり勉強すればこのおじさん(清掃者)がもっと働きやすい環境を生み出すことができるのよ。」と娘に話す。
そこでベビマに参加されたお母さん方に、「そのような状況で我が子になんて教えますか?」と尋ねた。
「子供は純粋です。差別や偏見の目は持っていません。持っているのは全て大人です。親です。親が子供に偏見の目を植え付けるのです。皆さんは、子供にどう教えますか?」
と考えていただいた。そして、
「私には3歳になる子供がいます。今、子供が少しづつ言葉を発しています。怖いです。怖くて仕方がないです。子供がなんて喋るようになるのかと。子供は親の言葉、夫婦間のやり取り、言動


死ぬのは怖い
死を迎えた(覚悟した)本人とその家族の心構え。
97歳のお婆さんが、死を迎え受け入れた時、何をし始めたのか?
食を抜いていくのである。家族も本人の意思を尊重する。
点滴も拒否、延命も拒否、衰弱死を望んだ。
食を抜いていき、弱っていく。その姿を家族も見守る。
お婆さんが、亡くなる3日前にし始めたのが、今までお世話になった方一人一人にお礼を言うことだった。医師、看護師、介護士など。お婆さんの部屋を訪れる方に、両手で皆さんの手を握り、「今までお世話になったよ。ありがとうね。」と。
全員にお礼を言い終えると、3日後に息を引き取った。家族の方は、お婆さんが見せた最後の姿、言葉や思いを見届けた。親(お婆さん)が残した「死の迎え方」。家族にとってはいい手本となっている。そして、お別れの時(告別式)には家族全員が「お母さん、お婆ちゃん、ありがとうね。」と。流された涙は、皆さんどこか澄んでいたように見えた。私もお婆さんにお別れの花束をお棺に手向けさせていただき、合掌した。そして、お棺の周りをご家族皆さんで囲んで共に合掌した。
「死の迎え