
御朱印を書こう!
毎月、問い合わせがお寺にある。それも外国人からである。「法城(住職)のお寺(みんなのお寺淨願寺)に泊めて欲しいのだけれども。」「高野山に行くのに法城のお寺がいいので泊めてくれないか?」「熊野古道にサイクリングで行くのだけど途中、お寺に泊めてくれないか?」「坐禅、仏教を勉強したいのだけれども、お寺で修行出来ないか?」など理由は様々だ。 今まで多くの外国人がお寺に泊まっていかれた。学生からビジネスマン。企業の社長に家族旅行、バケイションにバックパッカーなど様々だ。 先日、和歌山の鷺の森別院(本願寺派)で法話を聴いた。話の中で、京都の本山(本願寺)に参拝客・観光客が来られた際、よくする質問がある。本願寺に参拝される方の質問ベスト3は:
1)御朱印はないのか? 2)なぜ東本願寺と西本願寺があるのか? 3)なぜ参拝料・拝観料を取らないのか? と言う質問である。そこで思ったのが「御朱印」である。本願寺は「御朱印」を出さない。当然理由があるが、私は「南無阿弥陀仏」のお名号を書いて「龍谷山 本願寺 奉拝」と書けば何ら問題ないと思う。御朱印を「懐中名号」としてお

親友だからこそ
先日、お昼にお邪魔した食事処。高校時代の京都の親友が営んでいる京料理屋さん。彼が2代目。東山の一等地でお店を構えている。お昼に満席。外国人の観光客も来られる。
彼(店主)とお店の営業時間が過ぎてお客様のいらっしゃらない時にお話をした。それが、彼が「食べログ」の方とやりとりをしていて、うちのお店も評価してもらおうと考えているということだった。 人の評価とは何だろうか? 評価によって改善したいという気持ちもわかるが、SNSでは信用できない。実を言えば私のお寺も評価1(星1つ)をつけられている。誰からかもわからない。なぜ星1なのかもわからない。そういった中で、人の評価とは何を意味するのだろうか?
しかも面を向かって言われていないSNS上で。 日本人は、面を向いて本当に人に自分の意思を伝えるのが苦手な民族だ。SNSを使用している時間が長いのが日本人が世界1位だそうだ。その場で言ってくれれば良いものを。言えないのである。悪いところがあれば改善するのだが。 彼(店主)は「食べログ」の評価を検討すると考え直した。人間物事に、評価に左右されがちではあるが、