テラピー犬じゃなく、馬?!

アメリカの療養施設では、よくテラピードッグが来て入居者の心を癒していた。私がアメリカの大学でチャプレンのボランティアをしていた時、チャプレン室に大型犬がよく遊びに来ていた。そして学生もチャプレン室に来て、テラピードックと触れ合っていた。 私が目を疑ったのは、ある動画を見た時である。海外ではテラピードッグは当たり前だが、テラピーホースを見たのは初めてだ。どこにでもいるような馬ではあるが、この動画に登場する馬はお年寄りや体の不自由な人に優しい眼で接するのである。他の馬ではしないことを。入居者も癒されている。不思議な光景だ。 私は乗馬をするが、最初に馬に接した時に馬の鼻で顔面を殴打されたのを覚えている。その時は馬に恐怖心を抱いたが、いろんな馬に乗ると馬の性格の違いもわかってくるようになる。すべての馬に共通するのは、褒めてあげること。背中に人間を乗せて走る馬。手綱でコントロールするが人間に操られていると当然馬もストレスがかかる。そこを人間と動物(馬)が呼吸を合わさねばならない。 しかし、テラピーホースは慈悲の心で弱った者を看る。人間は言葉で人を癒そうとして本当に辛い思いをしている人に寄り添っているのだろうか? 寄り添うと言いながら、自分が聞いてあげるという自分本位になっていないだろうか? 弱者とともに歩む(お互い向き合う)。伴走する姿勢がなければ本当に寄り添うことにはならないだろう。 テラピーホースを見て思う。 合掌、 テラピーホースと触れ合う人たちを見てください。

昭和と平成の垣根を超えて

中高生の集いを一月一回開催しているのであるが、最近の若者は物怖じしない。自分の思いや考えを素直に話してくれる。先日「愛」についてディスカスした。恋愛について思うことを「自分の経験を通して」話してくれたのだ。「今好きな人がいて」とか「今付き合っている人がいる」とかみんなの前で話してくれる。昭和を生きる私の時代では考えられないことだ。子供たちの声を聞いて嬉しく思う。 私がアメリカに居て子供たちの前で話(法話)したときに、「先生の教科書に書いている言葉は勉強したらわかるけど、先生の経験はどうなん?」って言われた時に、子供たちには(人には)自身の経験を通して話しなければ(私を)理解されないのだと思った。それからは自身の経験や体験を通じて法話するようにしている。そうすると人には通ずるものがあるし、信頼を得ることになる。なので、私もアメリカ生活が長いので日本に帰ってきて人と話をしても自分自身のことを語らない人は信用できなくったし、怪しいと思うようなった。(そうであってはならないのではあるが…) あるクラスを受講しているのであるが、参加者は昭和を生きる人(一人以外は)。平成を生きる人が生きづらさを感じているのは昭和の世代が平成の世代に降りてきていないからだと思う。平成の時代に生きる人たちが自分たちの思いを伝えていける時代を作らなければならない。参加者が自身の思いをクラスで話さないと平成の人もついてこれない。ほとんど私がクラスで発言しているのであるが、「寡黙」にいることが美徳であるような(昭和の)雰囲気は大嫌いだ。また、発言しても人を小馬鹿にして聞いている人もどうかと思う。なら、自分自身で自分

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