自己の外(そと)に何かを求めてもダメ!

ついつい何かを掴もうとしてしまう。「悟りとは何か?」を求めて仏道を歩もうとして掴もうとしていますね。もうそれが間違いで。 自己の内にしか、真実はないのですよね。 仏道を求めていると、「わかったわかった、そういうことか」と思ってしまう時があります。そう思うのがそもそもの誤りです。 お坊さんでこういうことを言う人がいます。「私は今こうしています。ああしています。」とか言って、自分が今いかにも仏道を歩んでいることを話す人が組内(地域のお坊さんの集まり)の女性住職僧侶にいます。人には「こうしたらいいねん。あーしたらいいねん」とか親切にもアドバイスをしたりもします。もう自分の仏道に酔いしれています。一番怖いこと。如何にも自分が自分がという思いと、こうしていますという変な自信。外に求めて歩んでいるとそうなるのですね。今までそういう僧侶をたくさんみてきましたが、どうしようもないです。 そういう人ほど、私が思うに本当は「助けて!助けて!何もわかっていません!」と、もがいているのです。自分の外に求めるといつかは頭を打ちますね。 ここに面白い仏教の教えに基づいた漫画があります。その女性僧侶の今がこういう左の絵の状態です。もがいている自分に気づいているのなら、まだ救われるのですが、それを知らずに仏道を歩んでいるともうどうしようもないのです。 お釈迦様は「自分の足で立ちなさい!」「目覚めなさい!」と言っているではないですか(右の絵)。お釈迦様は厳しくもあり親切でもあります。 外から得たものなど何も役にも立たない。内なる目覚めこそが自分自身に光が注がれているのです。 合掌、

信用・信頼について

「信用」「信頼」という言葉を考えてみたい。 みなさん、どうですか。「信用信頼」をしているからこそ、人を家に招き入れるのですよね。 ですよね。誰でも「いらっしゃい」というわけではないのですよね。 ~~~~~~~~~~~~~~~~ 先日、こういう事が自宅で起きました。 自宅のエアコンが故障していたので、修理をお願いしたのですが、そこでのことです。 修理前日、急に明日お寺で法事があるという連絡を受けまして、急遽エアコンの修理をキャンセルしました。そしたら当日、あさに修理会社から連絡。「今から行かせてもらいますね」とのこと。 いやいや、「昨日、電話で明日お寺の法事でどうしてもキャンセルしないといけないとお伝えしていますよ。」と言うと、修理会社の担当が「それは痛いね~」って言うのですよ。 そこでその担当者に「痛いってどう言うことやねん!」って叱りました。 後日改めて修理の確約をしたのですが、その担当者が詫び状を持って謝りに来られました。 20歳そこそこの青年。彼の将来のことを思って叱りました。その後、彼に家の中に入ってもらいエアコンの修理をしてもらいました。 信用信頼です。 修理に別の人を頼もうとしましたが、彼が謝りに来たので、お願いしました。 ~~~~~~~~~~~~~~~~ 昔から、信用信頼されているのが「お寺の住職」。田舎でよくあることですが、「明日命日なのでお参り頼みます。」と言われてお参りに行くと「急に用事ができて一緒にお参りできません。お参りしておいてくれませんか」と張り紙。家の人に変わってのお参り。玄関は鍵が閉まっていない。開いている。住職は「お邪魔

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