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  • お坊さんパパのお話

信用・信頼について


「信用」「信頼」という言葉を考えてみたい。


みなさん、どうですか。「信用信頼」をしているからこそ、人を家に招き入れるのですよね。


ですよね。誰でも「いらっしゃい」というわけではないのですよね。


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先日、こういう事が自宅で起きました。 自宅のエアコンが故障していたので、修理をお願いしたのですが、そこでのことです。


修理前日、急に明日お寺で法事があるという連絡を受けまして、急遽エアコンの修理をキャンセルしました。そしたら当日、あさに修理会社から連絡。「今から行かせてもらいますね」とのこと。

いやいや、「昨日、電話で明日お寺の法事でどうしてもキャンセルしないといけないとお伝えしていますよ。」と言うと、修理会社の担当が「それは痛いね~」って言うのですよ。 そこでその担当者に「痛いってどう言うことやねん!」って叱りました。 後日改めて修理の確約をしたのですが、その担当者が詫び状を持って謝りに来られました。 20歳そこそこの青年。彼の将来のことを思って叱りました。その後、彼に家の中に入ってもらいエアコンの修理をしてもらいました。


信用信頼です。


修理に別の人を頼もうとしましたが、彼が謝りに来たので、お願いしました。


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昔から、信用信頼されているのが「お寺の住職」。田舎でよくあることですが、「明日命日なのでお参り頼みます。」と言われてお参りに行くと「急に用事ができて一緒にお参りできません。お参りしておいてくれませんか」と張り紙。家の人に変わってのお参り。玄関は鍵が閉まっていない。開いている。住職は「お邪魔します」と一応誰もいない家に声をかけて、仏間へ。そしてお参り。


信用信頼です。


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住職と来客の話ですが、初めてお会いする方でお寺に来客の方には、こう言う話をよくします。


お寺に来られる人に「よく来られましたね。まあ、お茶でもどうぞ」と。お茶を一杯お出しします。次の人も次の人も。

しかし、頭の中にいろんなことを抱えている人が来ました。「よく来られましたね。まあ、お茶でもどうぞ」と。お茶を注ぎますが、溢れてきてお茶をこぼします。「和尚さん、お茶がこぼれています。」「そうだろ、今のあなただ。空っぽにして心を真っ白にしてお寺に来ないと。」と和尚さん。

「純粋な心」で接しないと信用信頼を得ることができません。濁った心だとすぐに見透かされてしまいます。


エアコンの話もそう。住職さんが檀家さんに信用されるのもそう。「純粋な仏の心」がないと信用されません。「衆生本来仏なり」と言う言葉を大切にしたいものです。合掌、

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