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  • お坊さんパパのお話

子供がいなくったって…

知り合いの園長先生の話ですが、この園長先生は長年にわたり小さなお子さん達を園で預かってこられている方です。ご自身は結婚されていますが、子供はおられません。欲しくても授かりませんでした。


ある日、幼稚園で怪我をした園児の親御さんが捲し立てて園に怒鳴り込んできました。そこでその親御さんが園長先生に向かって言った言葉が、「(自分の)子育てをしたことのない人には親の気持ちわからないですよね!」と。その言葉に園長先生は、「私たち園の職員一同は大切なお子様一人一人のいのちを預かっております。今回の事は、私たちの目が行き届かなかったことで誠に申し訳ございませんでした。…」と平謝りであったそうです。


親が見ていない所での子供の怪我は、親は心配です。怒りの心、「なんで、うちの子供が!」と思う気持ちは当然でしょう。場合によっては園も訴えられることもあることです。

今回の怪我の件で、親の「怒りの心」は園に向けられましたが、それ以上に責任者である園長先生の個人的な事柄にも及びました:「先生にはお子さんがいないでしょ!」ということです。この園長先生は私に「やっぱり自身の子供がいないと他人の子供のこともわからないのかなあ?」と深く悩んでおられたことがありました。


私は禅寺で修行していた時の話を思い出しました。一昔前のことですが、禅寺の和尚さんのところに子供(1~2歳児)を預けにくるお母さん達がいました。お母さん達が「ちょっと忙しいので少しの時間うちの子供を見ていただけないでしょうか?」ということで、年老いた和尚さんに自分の子供をしょっちゅう預けにこられるのです。和尚さんに預けられた子供は決して泣くことなく、和尚さんに面倒を見てもらいました。お母さん方が子供を迎えに来る時には、子供はいつも笑顔でいるのです。それを見た母親は「なぜいつも和尚さんに見てもらうとうちの子供は元気なのでしょうか?」と尋ねました。そうすると和尚さんは「私も子供だからです。」とおっしゃられたという話です。


お坊さんは修行をしていくと、赤子に帰っていくのです。子供は「仏の子」を言われるように、大人も自分の子供他人の子供にかかわらず、子供と接すると純粋無垢な子供の心に帰っていくのです。それが悟りの世界です。


園長先生は毎日「仏の子」達と接して仏様のようになっていくのです。自分の子供がいなくてもそうです。先日その園長先生は私に言ってくれた事は、「園児達、一人一人が私の子供(仏達)です」と。

合掌、

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