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立木観音の世界

「人間は死ぬるために生きるのではない」という言葉をよく耳にします。「永遠の今を生きる」とかもよく聞きます。

人間は日に日に成長するのだろうか? 肉体的な老い、そして死へ向かう老人達。そうした中で人間の精神的な内面の深まりをいただいているのだろうか?

自己を掘り下げても何も見当たらない。掘っても掘っても底に到達しないのが仏教の教え。生きている限り、死ぬまで、そして死んでも掘り続ける。

掘っては消え、掘っては消え、成長していく。

それが「立木観音」の世界だ。


立木観音が木の成長とともに消えていく。

無常と空の世界 ー仏教の世界観だ

アタッチメント(執着)は仏教ではいちばんの妨げになります。消えていくこと、消していくことが成長することとなるでしょう。そこで大切なことが「執着を離れる行」をしていくことです。


組内:「そない」(地域の僧侶の集まり)に老僧が目立つのだが、組長:「そちょう」(集まりの長)を経験している老僧が今でもやかましく発言するのはどうかと。ろくなことも組:「そ」のことに取り組んできていないのに、経験してきたから、昔のことを引き合いに出して「以前はこうやった」、「こうしてきた」と発言するのです。じゃあ、今はどうなのかなのですが、そこ(肝心な今)がない。過去に執着しているのです。私が発言しようものならいい顔しない。挙げ句の果てには、こちらから挨拶をしても無視をする老害。仏教をどう生きてきたのか?どう生きているのか疑問だ。この人は立木観音のように成長してはいないのだろう。情けない。

さて、老若男女、観音様のように成長したいものです。合掌、

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