自我から大我へ

September 16, 2017

友人からの相談を受けた。「ほんまに笑いのツボが違うな~」とお互い(夫婦で)思う時があるそうだ。そして、話が展開していく。「最初はこんな人違ったのに~」とか、「騙された~」とか「何で一緒になったんやろか~」とか、ひどい時には「詐欺やわ~」などと旦那は奥様に言われるそうだ。友人もかなり凹んでいるらしいが、黙っていないらしい。反撃だ!とばかりに言われたことをそっくりそのまま言い返すそうだ。そうするともう「わや」になる。お互い嫌なところをぶちまける。言い合い合戦!
そこで思う。何が違うのか?とか、文系脳と理系脳の違い?、IQ・EQの違い?、単純に男女の違い?…とか。結局はいろいろ調べ考えてはみたが、仏教でいうところの「我執」「執着」が全て悩みのタネ(原因)だということ。お互い自分自身が可愛い・愛しいから我執が生まれ執着する。この考えには、友人夫婦一致する。この「我」(が)をどうコントロールしていくかが人生の修行である。我が決して悪いわけではない。否定的なものでもない。我を変換すると「大我」(優れた我)になって思ってもいない力を発揮する時がある。自分自身を見つめていく。問い続けていく先には何があるか。愛するとはどういうことか? 共に生活するとは? 家族とは? とか突き詰めて行く。そしてお互い最後はこう言う。「年取って動けんようになったら世話してあげるわな。」「私より先に逝かんといてや。」「亡くなったら一緒にここ(墓)に入ろな。」「愛してるで。」と最後はこう言う。
我(が)と向き合う。自分に問い続ける。そして最良の答えを導き出して行く。その作業の繰り返しである。「一人の時の方が楽やわ」って思うときもあるが、それも違う。やはり悩みのタネは尽きない。次から次へと湧いて出る。人間だから、一生懸命生きているから悩めるのだと。そしてその悩みと向き合って、付き合っていくことも大切だと思う。悩みがない人生もつまらないものですよ。少しばかりはその悩みと共存しながら生きていきたいものだ。それも有難いものである。偏った生き方だけはしないようにね。しなやかに生きたいものです。竹のように。 合掌、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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