好き嫌い ー 人間のありのままの感情

仏教では好き嫌いの感情は、執着(煩悩)と捉える。自らの執着により好き嫌いが生じると言われる。執着の囚われから解放されることが大切であると。その執着から克服して(目覚めて)こそ、悟りの世界がみえてくるのだという。親鸞はこれを「無碍の一道」と説く。

 

一度、目覚めの世界(信心体験)を得ると、この世界に帰ってきて、あらためてこの好き嫌いと向き合うと楽になる。好き嫌いの世界(煩悩)は、人間である以上消えることはない。そこで、信心を得れば煩悩と上手に付き合うことができる。好き嫌いがあって良いのである。人間だから。好き嫌いがあっても囚われる事がなくなる。直ぐに嫌いなことを捨て去る事ができるのだ。それは信心を得て(信心体験)も同じ事である。信心を得たらその信心を捨て去る事! 信心にとらわれない事!が大事である。

 

以前、ある法話会(説法)で、参拝者に尋ねてみた。「嫌いな人、この人は許せないという人はいますか?」と。そうすると半分の方は手が上がった。私も手をあげた。私と参拝者の違いは何か? それは信心を得ているか得ていないかである。参拝者に私はこうお話しした。「私にも嫌いな人がいます。その人とどう付き合って行くのかは、私次第です。私は嫌いな人とは極力関わらないようにします。挨拶程度に止めておきます。必要以上のことは避けます。自分が疲れるだけだから。そして、その嫌いな人のことを忘れること。嫌いなことに執着すると煩悩に囚われるからです。そしてまた憎悪が増すからです。」

 

好き嫌いは、人間としてのありのままの感情である。それとどう向き合うかは、各々次第である。仏道を行ずるとこの好き嫌いと付き合うのも楽しくなる。 合掌、

 

 

 

 

 

 

 

 

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