大丈夫ですよ。心配しないで。

end of life care という言葉をここ最近日本でも聞かれるようになった。いわゆる病気や老いによって人生の終焉を迎える時期に提供される医療・看護・介護のこと。終末期医療に関する概念の一つであり、疼痛(とうつう)や不安を和らげる緩和ケアに加えて、認知症や慢性疾患など幅広い疾患を対象に、本人が症状や治療法を理解し、穏やかな最期を迎えられるよう支援する事である。人生の最後をどのように過ごすかということと、そして死後はどうなるのかということまで考えることが重要になると私は考える。

人生の最期に重点が置かれるのはケアーという意味においても一昔前とは随分変わってきたなと思う。以前の医療は、生きるということ、すなわち「生」にこだわり、治療などを施していっていたので、それはどこまでも「死」そして「死後」ということからは離れた場所にあった。今尚医療現場においては、まだまだ死を避けている。

仏教は死や死後について「も」説く。最近では、宗教者が医療現場に関わっていくようになり、ある僧侶からこういう話を聞いた。医学部生に講義をしてアンケート調査を行った。

「人間死んだらどうなるのか」

それに対して医学部生の半数が「人間死んだら終わりです」と答えたそうである。 いまだに医療現場では「死は敗北」と言われているのである。

最愛の人を亡くした遺族・家族は、死と向き合って人生を歩んでいかなければならない。そこで医療現場では語られない死とどう向き合って生きて行くのかということを仏教は教える。

日本仏教は葬式仏教と言われているが、日本仏教の強みは葬儀(死)という場を通して、残された者のケアーにあたっているところにある。
仏教カウンセリングが始まるのは、臨終の時からであり、死後から満中陰(49日)までの7日毎のお参り。「人生前を向いて歩んでいくんですよ」と語られる100日目の卒哭忌(そっこくき)。それに命日や年回法要といった仏様の教えに会う縁に恵まれる。自分の人生(残された者)と死者との交流が語られる場が提供されるのは有難いことである。

緩和ケアや死について語られる研修や講演、勉強会や学会に参加して研鑽を積むが、講師陣がよく話されるのが「NGワード」についてである。死を迎えた人や最愛の人を亡くした方に言ってはいけない事。禁句と言われる言葉で、よく言われるのが「大丈夫ですよ。心配ないですよ。」などは話してはいけないと教えられる。しかし私は、そこには疑問を持っている。
現場に関わるものとして、言ってはいけない言葉などはないと思うのだ。
その人と私の関係性においては「大丈夫ですよ。心配ないですよ。」という言葉でどれだけ救われることがあるかということを理解せねばならない。

最近、高齢のおばあさんを定期的に訪問している。最愛のご主人様も早くに亡くし、ご自身は施設で暮らしている。おばあさんの家族は滅多におばあさんを訪問しない。一人でいる時間が多い中、私が住職としてお目にかかると、「おじゅっさん(住職さん)、仏さんは迎えにきてくれるのかなあ?」「私地獄へ落ちないかな?」「お父さんと早く会いたいよ」「私早く死にたいが、死ぬのが怖いよー」など、不安な日々を過ごしておられる。私の両手を握りしめて離してくれない。私は、しばらくおばあさんのそばに寄り添う。「大丈夫ですよ。心配しなくていいですよ。仏さんはお父さんは必ず迎えにきてくれますよ。一緒に手を合わせて、この命を仏さんにお任せしましょうね。」と話す。おばあさんが、落ち着くまでそばにいる。しばらくすると目をつぶって寝られるのでそれまで寄り添う。人生の最期に不安でいっぱいの方は大勢いらっしゃる。ましてや、仏さまの話をお聴きになられたことなどない方はどれだけ多いことか。「大丈夫ですよ。心配ないですよ。」という言葉は、おばあさんの不安を軽減できる。時と場所、その方との関係性を大事にして、大切な言葉をかけてあげたいものである。  合掌、

 

 

 

 

 

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