余裕のある人生

先日、京都に出張した。その晩外食した。立ち呑み屋さんで、8畳くらいのスペースに縦長のカウンターのみ。10人も入店すれば満員。そこでお店の方に話を聞いた。「ここは何時から開いているのですか?」「朝9時から夜8時まで」ということ。私が入店したのが、夜6時過ぎ。すでにカウンターには3人のおじさん方。いえいえ、おじさんじゃない。70歳から80歳代のおじいさん方だ。「すみません。生中!」と早速注文。そうしたら、お隣の82歳のおじいさんが、タバコをくゆらせて、グラスにはワインが注がれていた。「あれ、おじゅっさん。(住職さん)。今日は綺麗な格好でどうされましたか?」と声をかけてこられた。「お仕事の帰りです。」と話すと、「その袋(頭陀袋:お坊さんが首からかける袋)中にはお経さんが入ってるんですか。」と。「そうです。いつでもお勤めができるようにね。」と。そこから、店内ではおじいさん方が死について話始めた。「歳いった方が話すことは、死のこと、年金のこと、病気のこと」などであると店長。「ここに集まるお父さん方はみんなそういう人ばかりですよ。」ということだ。世のおじいさん方の居場所である。常連さんから見も知らぬ人(私も含めて)まで、みんなで、「〇〇さん、亡くなったなー。」とか話して般若湯(お酒)を呑む。呑み方に話し方、酔い方に全て余裕がある。見てて、話聞いてて、皆さん長い人生を歩んできた姿が垣間見られる。一杯呑んでスッと帰る方もいる。上手だ! 立ち振る舞いも全てに余裕がある。

 

夜7時をまわった頃にはおじいさん方はいつの間にか帰って行かれた。そうこうすると、入れ替わるように若い(50代~60代)スーツ姿のおじさん方が入ってくる。店の雰囲気も変わる。一言で言えば、先ほどのような余裕がない。自分のことで精一杯な感じだ。周りの雰囲気を遮断する。お隣さんと共有することも何もない。面白くなくなったので、「ごちそうさま」させていただいた。

 

私も若いのでまだまだ精進しないといけないのであるが、人生に余裕のある姿が身につくようにしたいものである。しかし、世のおじいさん方はどこにいるのだろうか? 一人でいる時間をどのように過ごすのかは、観察すると面白い結果が出てきた。図書館、居酒屋(高齢者が集まる)、スーパーマーケット、モールなどに行き、おじいさんウオッチングをした。世のおじいさんは社会との関わりを今も持ちたいとウロウロされる。定年退職してからというもの、自分の時間を人生をどう過ごすのかは、やはり社会との接点を見出すのである。例えば、モールに行くと椅子に座って本を読んでいる人はほとんどがおじいさんだ。また、先日門徒さん(おじいさん)にたまたまスーパーマーケットで買い物してしている時にお会いした。「今日はお買い物ですか?」と尋ねると「いえいいえ、ウオーキングです。」と言うのである。買い物をしに来ているのではないのですね。人が集う場所に自分も来るということで社会との関わりを持とうとするのである。

 

私は住職としてお会いする方々は、高齢の方も多い。お葬式や法事にお参りされる方は、自分の余生をどう過ごすのかを考えて生きている人がほとんどだ。これからも積極的にお年を召した方々と関わっていきたい。そして、長い人生を過ごされた歩みを少しでも聴かせていただきたい。そばに寄り添いながら。  合掌、

 

 

 

 

 

 

 

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