死ぬのは怖い

死を迎えた(覚悟した)本人とその家族の心構え。

97歳のお婆さんが、死を迎え受け入れた時、何をし始めたのか?

食を抜いていくのである。家族も本人の意思を尊重する。

点滴も拒否、延命も拒否、衰弱死を望んだ。

食を抜いていき、弱っていく。その姿を家族も見守る。

お婆さんが、亡くなる3日前にし始めたのが、今までお世話になった方一人一人にお礼を言うことだった。医師、看護師、介護士など。お婆さんの部屋を訪れる方に、両手で皆さんの手を握り、「今までお世話になったよ。ありがとうね。」と。

全員にお礼を言い終えると、3日後に息を引き取った。家族の方は、お婆さんが見せた最後の姿、言葉や思いを見届けた。親(お婆さん)が残した「死の迎え方」。家族にとってはいい手本となっている。そして、お別れの時(告別式)には家族全員が「お母さん、お婆ちゃん、ありがとうね。」と。流された涙は、皆さんどこか澄んでいたように見えた。私もお婆さんにお別れの花束をお棺に手向けさせていただき、合掌した。そして、お棺の周りをご家族皆さんで囲んで共に合掌した。

「死の迎え方」は様々だ。お婆さんは自然と自らの死を受け入れた。私僧侶も修行していく中で自らの死に方を行じなければならない。禅寺で修行していた時は、「戦前の和尚さまがたは坐禅しながら息を引き取っていかれた。」と和尚さまから伺った。浄土宗・浄土真宗なら念仏を称えて亡くなっていかれたと。僧侶は皆死に方を行じている。

 

しかし、和尚さまは「本当に自分の思い通りに死ぬことができるかね?」「修行したら死は怖くなくなるかね?」とおっしゃる。「ある高僧が死を迎えた時に言った言葉がある。それは、死ぬのは怖い」と。高僧と呼ばれる方も、死を迎えた時に恐怖を感じたのであった。

在宅医である岡山先生が先日書かれたコラムを拝読させていただいた。「死ぬのは怖い、けど待っている。」ということだ。先生は

死ぬことなど怖くないとおっしゃる方はたくさんいらっしゃいます。しかし、「死ぬことを怖いと言いながら待っている」という人には初めてお会いしました。(岡山先生)

と。この亡くなられた方は、死を迎えた時にされてきたことは、

全て(物・関わった人)手放してこられた。(岡山先生)

そうだ。

そして人生の最終段階で、命すら手放すことを待っているというのです。人というのは何もかも手放すと、これほどまでに軽やかになれるのか、と驚くほどでした。(そして、)私は「怖いけど待っています」という言葉を尊重したいと思いました。(岡山先生)

と岡山先生はおっしゃる。先ほどのお婆さんの話と重なって感じ取れるのは、先生もおっしゃられるが死を迎えた人の覚悟は全てのものを「手放していく」ということだ。死に対する恐怖心もあるかもしれない。それもそうだ。僧侶も最後は全てのものを捨てていく。そして最後は、この限りある命を大いなる命に返していくだけである。 合掌、

 

手放す

 

 

 

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