どうしますか?

「自己決定」という言葉を最近耳にする。選びである。人生は選びであるということなのか?
今の世の中、自分で決めていかなければならないことが多い。当然、周囲にも相談するかと思うが、最後に決めるのは自分自身である。その決定を周囲も認めなければならいようになっている。特に人生の終末期において終末期医療をどう受けるか本人の意向に沿うように「エンディングノート」などを書く人も増えてきている。

日本人は、自分で決められないことが多い。周囲のことに目が行き、どうしても全体に流される傾向にあるが、最近は西洋の「自己決定権」を真似るようにもなっている。

話は変わるが、寺子屋英語教室を行なっている。今は50名の子供さんを預かっている。先日も問い合わせがあり、「一度見学にお邪魔したいのですが」とのことだったのでお受けした。見学会も終わり、保護者の方が何も言わずに帰ろうとしたところ、「どうしますか?」とこちらから声をかけさせていただいた。お母様方が子供さんに「どうする? また来たい?」と尋ねた。子供達は「うん。また来たい。」と言ったので「お願いします。」と頼まれた。

45分の英語レッスン。5分のマインドフルプラクティス。10分のディスカッション(対話)の計1時間のクラス。子供達も楽しんでくれているので、英語が嫌いで辞める子供は7年間教えていて一人もいない。ただ、先生(私)を嫌いで辞める子供はいる。まだまだ私は人間ができていないのでしょうね。純粋な子供の心を受け止めてあげることができないことに情けなく思う。人生精進しなければならない。仏の子供たちを大切にしたいところだ。

7年間、小さな子供たちと対話していて気づくのがこの自己決定だ。物事をはっきり自分の考えを相手に伝えられることが求められるようになるこれからの日本。幼少期から、「自己とは何か?」「なぜ人間は生きるのか?」といった「いのち」教育や哲学が大切であると思っている。そういう「自己の問い」を通して決断・決定して自らの道を切り開いていく。

 

「先生のクラスで学びたい?」と聞いて「また来たい」という仏の子供たちの(自己決定の)心を大切にしたい。


合掌、

 

 

 

 

 

 

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