Stop wasting your life!

朝目覚めて、何を思う。 目覚めの1分が大切だ:「今も生きている!」「限られたいのち、さてどう生きようか?」

「今日死ぬかもしれないぞ!」

「これでよし!」と思える今日を生きなければならない。

それはね、今日死ぬかもしれないから。死を通して生を生きることを心がける生き方を日本人はしてきた。以前はね。しかし、団塊の世代に生きる高齢者は「死なない」と思っている。若年世代の働き盛りの者もそうだ。死を避けようとする。

おじいさんおばあさん方をたくさん見送ってきたが、特に男性は死を忌み嫌う。「我々も死ななあかんしね。」と言うと、「わしは、まだ死なん!」「死ねへん!」と言う人がどれだけ多いことか。死の話をしよう思うなら、怒る怒る。

ほんまに思いましたね。死を忌み嫌う方達を教育しないと、これからの多死社会(孤独死・孤立死時代)、日本人は耐える事(自分の生き死にに向き合うこと)ができるのだろうかと。心配するところである。

アメリカにいた頃、仏教を通して、”Death Education”(死の教育)をよくしたのを覚えている。それも小さな子供達から死を迎えた方々まで。英語で書かれている死の教育の本は絵本はたくさん出版されているが、日本では死の教育の本がそんなにない。しかも子供向けの本などはね。

どうして日本は日本人は死を忌み嫌うようになったのだろうか? 偏にお坊さん(僧侶)の責任であるし、日本社会の問題(核家族化)でもある。身近に人を看取ることをできなくなった日本社会が問題である。核家族化は止めることはできない。老人は全てホームや施設に入居。子供は親を看れなくなる。自宅で死を迎えられなくなるのが現実。

そうした中、在宅医療(自宅での死)にシフトしていこうとする日本社会。医師や看護師など24時間体制で看取りをしていこうとするが、問題も多々あろう。

小児科医ママが先日こういった。「開業医さんは、本当に身を粉にして仕事をする。自分(医師)が病気をしてまで。」「それもその医師が開業しようとして、病気になるであろうことも覚悟したはずだとは思うが、医師の勤務形態も改善されないと医師は死ぬ!」と言う。

お坊さんと医師は、健康でいないといけない存在である。(基本的な)「自己管理」ができていないと、「何してんねん。」となる。病気でもしようものなら「お前はそれでも坊さんか?」とアメリカではよく言われたものだ。まずは生き方死に方の手本を示さなければならないのが医師であり僧侶であると私は思うのだ。

49歳で亡くなった私の父(僧侶)は「自己管理」ができなかった人だった。心筋梗塞で世を去った。今で言えば生活習慣病だ。自己管理をできなかった人だ。父の死を思えば腹立たしい。長生きして欲しかったのを今でも思う。生きていれば82歳になる父であるが。

さあ、どうする!

自分の人生を、1日を、一瞬を、どう生きるのか? どう死を迎えるか? 死を捉えた生き方をどう力強く生ていていくのかを、自己管理という戒律でも身につけて生きてみては如何なるものだろうか。

「人間とは何か?」「自己とは何か?」を今一度朝目覚めた時に考える時である。 合掌、

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