お盆を終えて、帰るいのち

夏になると水難事故が相次ぐ。連日、「どこそこの海や川で人が溺れて見つからない。」というニュースを耳にする。地元の河川「紀の川」でも先月15歳の少年が溺れた。まだその少年は見つかってはいない。地元住民は昔からの言い伝えで「紀の川では絶対に泳いだらあかん。足引っ張られる。」と聞かされている。溺れて浮いてきたことが一度もないと聞かされている。なので言い伝えを聞いている地元民は絶対に泳がない。
日常生活の中でも私たちは溺れる経験をする。それはお風呂である。私はこれまでお二人お風呂で亡くなった方を見送ってきた。浅いお風呂でさえも人は溺れるのである。

溺れるとは手足がバタバタしている状態のことを言う。仏様は溺れることをこうもおっしゃる。「自分自身の思うようにいかないことを溺れる」と。私たちの日常生活で溺れるような思いをすることは多々あるのではないだろうか。

 

では、溺れないようにするにはどうしたらいいのだろうか? それは浮くことである。水面に浮くような体験をしたことが子供の頃になかったではないだろうか。浮くことはこの身を水面に任せるということ。その時の心はどうであろうか。何も考えていないのではないだろうか。心を落ち着けて真っ白なピュアな状態に持っていく。ちょっとでも邪念が浮かんでこようなら沈んでしまう。

心が真っ白な状態のことを仏様は「今救われているのだ」と言う。なので、全身全霊この大宇宙にお任せしなければならない。そのために私たちは浮く練習(修行)を日常生活でしなければならない。

 

それが日々のお参りである。行を積んだおじいさんやおばあさんの話を伺っているとこうおっしゃる。「ご縁さん! わしはもう十分生きてきた。なんの不足もない。もう十分や。あとはな、仏様にこの命を帰していくだけや。お任せするしかない。毎日が感謝の生活や。」と。

 

私も「十分や。なんの不足もない。」と言う心境にまで至らねばならない。「ちょうどいい。」生き方がいいのだろう。そして、この限られたこのいのちを仏様(全宇宙)に帰していかねばならない。そこが仏道を歩むべきものの生き方がある。合掌、

 

 

 

 

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