魂はどこにいますか?<お盆のお話>
- hojot2010
- 8月11日
- 読了時間: 4分
お盆を迎えると、門徒さんからよくこう尋ねられます。
「魂はどこにいますか」
今日はこの問いについて、私なりに考えてきたことをお話ししたいと思います。
魂は自然に帰る
遠い昔、仏教が日本に伝わる以前から、日本人は死者の魂の行方についてある感覚を持っていました。人は死ぬと、魂は山へ帰る。あるいは川へ、海へ、森や花畑へと帰っていく。そう信じられてきました。

京都の夏の風物詩である「五山の送り火」も、この物語の延長線上にあります。お盆に家々へ迎えられたご先祖の魂は、送り火に導かれて、再び山へ、あの世へと帰っていく。京都市民にとって五山は、死者の魂が帰る場所であり、お盆になるとまたそこから我が家へ戻ってくる場所なのです。

そしてこれは、京都だけの特別な話ではありません。皆さんのご自宅で毎年焚かれる迎え火・送り火も、実は同じ物語の中にあります。おがらを焚いて、その火で道筋を照らし、ご先祖を家までお迎えする。送り火で「また来年」とお見送りする。五山の送り火を大きく引き伸ばせば、それはそのまま、それぞれのご家庭の玄関先の営みなのです。
日本人はこうして、死者が現世のそばに帰ってくることを、恐れではなく喜びとして受け止めてきました。ところが、この話を外国の方にすると、こう言われることがあります。
「魂がそばにいると聞くと、怖い」
同じ「魂が帰ってくる」という出来事が、ある文化では安心になり、ある文化では恐怖にな
る。この違いは、私たちが古くから、山や川や海という大きな自然そのものに、すでに神仏の宿りを感じてきたからではないかと思います。
魂は浄土に帰る
仏教が日本に伝わってからは、この感覚に、阿弥陀様の浄土という物語が重なっていきました。亡き人は阿弥陀様の浄土へ還り、そこから私たちのもとへ帰ってくる。
浄土真宗では、息を引き取るとすぐに仏となり、私たちを見守ってくださるご先祖様になると説きます。ですから浄土真宗においては、お盆のこの数日間だけが特別なのではなく、毎日がお盆なのです。死者は常に私たちを守ってくださっている。魂は、決して遠く離れた場所にあるのではなく、常に私たちのそばにあるのです。
古神道が語ってきた「魂はどこから帰ってくるか」という物語と、阿弥陀信仰が語る「その仏さまが今どう私たちに働きかけているか」という教えは、対立するものではありません。前者は、私たちの心を開くための、馴染みのある入り口です。そこに、「実はその仏さまは、盆の三日間だけでなくいつもそばにいて、あなたを見守っている」という真宗の教えが重なる。だからこそ私たちは、恐れではなく、ずっと抱かれていたのだという安心を得ることができるのだと思います。
お盆は、その感謝をあらためて思い出すための期間なのでしょう。普段、感謝のお参りができていない私たちのために、あえてこの期間が設けられている。そう受け止めています。
魂は言霊として生きる
そして最後に、私が一番お伝えしたいことをお話しします。
魂とは、言霊のことでもあると私は思っています。亡き人の思いや行い、かけてくれた言葉が、私自身の心の中に、今も生き続けている。これが魂です。
これは、「どこかへ行く」場所の話ではありません。山にも帰らない、浄土にも留まらない。今この瞬間、私の中に、言葉として、行いとして生きている。それが言霊としての魂です。
私自身、本堂でお勤めをしていると、衣を引っ張られる感覚がたびたびあります。肩であったり、袖であったり、足であったり。その場所によって、なんとなく分かるのです。肩なら大人、足なら子供。誰かまでは特定できませんが、赤ちゃんから老人まで、これまで千人以上の方を看取り、見送ってきた中で、引っ張られ方の強さや場所によって、自然と声のかけ方が変わっていきました。子供であれば「遊びたいんやな」と思い、大人であれば「迎えにきてるんかな」と思う。そのたびに、私はこう語りかけます。
「私はまだそちらに行かないよ。まだこの世でしないといけないことがたくさんある。その時が来たら必ずそちらへ行くからね」
そう声をかけると、引っ張るのが止まります。
理屈で説明のつく話ではありません。ただ、これまで見送ってきた一人ひとりとの、この静かな往復の中で、私は確かめてきました。亡き方の魂は、私の中に生き続けている。だから私自身もまた、その魂に守られている、と。
魂はどこにいますか
門徒さんに問われたとき、私はいつもこの順番でお答えします。
まず、魂は自然に帰ります。山へ、川へ、海へ。 そして、魂は浄土に還ります。阿弥陀様のみもとへ。 けれども、言霊は生き続けます。亡き方と共に、私たちの中に。
魂は、常に私たちのもとにあります。見守り続け、共に歩んでくれています。
不安に思うことはありません。守られている。その思いの方が、ずっと強いのです。 合掌

コメント